この記事で身につくこと
クレーム総額の分布を厳密に計算する代わりに、規模が大きいことを利用して近似する方法を扱います。この記事を読み終えると、複合ポアソン分布がなぜ正規分布に近づくのかを積率母関数の言葉で説明できるようになり、正規近似で足りないときに移動ガンマ分布のパラメータ3つをモーメント法で決められるようになります。
記号と用語を日本語に直す
| 記号・用語 | 意味 |
|---|---|
| 漸近分布 | 規模($\lambda$ など)を大きくしたときに収束していく先の分布 |
| $Z$ | 標準化した総額。$Z = (S - E(S))/\sqrt{V(S)}$ |
| $\mu_3$ | 3次中央積率。$E[\{S-E(S)\}^3]$。分布の歪みを測る |
| 移動ガンマ分布 | ガンマ分布 $G(x;\alpha,\beta)$ を $x_0$ だけ平行移動した $H(x) = G(x - x_0;\alpha,\beta)$ |
| モーメント法 | 分布のモーメントを実際の値と一致させてパラメータを決める方法 |
用語のずれを1つ名指しします。「漸近分布」という言葉は、この節ではクレーム総額 $S$ の分布が正規分布に近づく話ですが、同じ第2章の推定の文脈では最尤推定量の漸近分散(推定量のばらつき)を指します。タクティクスにも「漸近分布系」という節があり、そちらは最尤推定量の話です。試験で「漸近」と見たら、収束していく主役が総額なのか推定量なのかを最初に確認してください。
核になる式:標準化がモーメントを2つ消す
パラメータ $\lambda$ の複合ポアソン分布に従う $S$ を標準化した
$$Z = \frac{S - \lambda E(X)}{\sqrt{\lambda E(X^2)}}$$
は、$\lambda \to \infty$ のとき標準正規分布 $N(0,1)$ に近づきます。
理由は積率母関数の展開で見えます。$Z$ の積率母関数の指数の肩に $M_X$ のマクローリン展開を代入すると、定数項は複合ポアソンの積率母関数がもともと持つ $-\lambda$ と打ち消し合い、$t$ の1次項は標準化で平均を引いたおかげでちょうど消えます。残る $t^2$ の係数は $\lambda E(X^2)/(2\sigma_S^2) = 1/2$ と、$\lambda$ によらない値です。一方、$t^k$($k \ge 3$)の係数には $1/\lambda^{(k-2)/2}$ の因子が付くので、$\lambda \to \infty$ ですべて消えます。残るのは
$$\lim_{\lambda\to\infty} M_Z(t) = e^{t^2/2}$$
で、これは標準正規分布の積率母関数そのもの。積率母関数が一致すれば分布も一致するので、$Z$ は $N(0,1)$ に収束します。中心極限定理を積率母関数で証明するのと同じ流れです。件数がポアソンでなく負の二項分布(パラメータ $r$、$p$)の複合分布でも、$p$ を固定して $r \to \infty$ とすれば同じ結論が成り立ちます。
消え方の速さに注目してください。$t^3$ の係数は $1/\sqrt{\lambda}$ でしか小さくなりません。これは分布の歪み(歪度)が $1/\sqrt{\lambda}$ の速さでしか消えないことを意味します。$\lambda$ が有限のうちは右への歪みが残っていて、左右対称の正規分布ではその分だけ右裾の確率を見誤ります。
歪みまで合わせる:移動ガンマ近似
そこで、もともと右に歪んだガンマ分布を $x_0$ だけ平行移動して、平均・分散・3次中央積率 $\mu_3$ の3つを $S$ と一致させます(平均と分散が合っていれば、$\mu_3$ を合わせることは歪度を合わせることと同じです)。移動ガンマ分布の3つのモーメントは
$$E(S) = x_0 + \frac{\alpha}{\beta}, \qquad V(S) = \frac{\alpha}{\beta^2}, \qquad \mu_3 = \frac{2\alpha}{\beta^3}$$
なので、これを $\alpha, \beta, x_0$ について解くと
$$\alpha = \frac{4\{V(S)\}^3}{\mu_3^2}, \qquad \beta = \frac{2V(S)}{\mu_3}, \qquad x_0 = E(S) - \frac{2\{V(S)\}^2}{\mu_3}$$
が得られます。導出は3行です。分散と3次積率の比から $\beta = 2V(S)/\mu_3$、それを分散の式に戻して $\alpha = V(S)\beta^2$、最後に平均の式から $x_0$ を引き算で出す。この順番で解けば連立に迷いません。
数値例
件数がパラメータ $\lambda = 100$ のポアソン分布、クレーム額 $X$ が平均1の指数分布とします。指数分布のモーメントは $E(X) = 1$、$E(X^2) = 2$、$E(X^3) = 6$ です。複合ポアソン分布では $E(S) = \lambda E(X)$、$V(S) = \lambda E(X^2)$、$\mu_3 = \lambda E(X^3)$ なので
$$E(S) = 100, \qquad V(S) = 200, \qquad \mu_3 = 600$$
移動ガンマのパラメータを公式の順番どおりに出します。
$$\beta = \frac{2 \times 200}{600} = \frac{2}{3}, \qquad \alpha = 200 \times \left(\frac{2}{3}\right)^2 = \frac{800}{9} = 88.89, \qquad x_0 = 100 - \frac{2 \times 200^2}{600} = 100 - 133.33 = -33.33$$
検算します。平均は $x_0 + \alpha/\beta = -33.33 + 133.33 = 100$、分散は $\alpha/\beta^2 = 88.89 \div \frac{4}{9} = 200$、3次中央積率は $2\alpha/\beta^3 = 177.78 \div \frac{8}{27} = 600$。3つとも元の値に戻りました。
$x_0$ が負になった点に注意してください。移動ガンマ近似の $x_0$ は分布の始点を表すパラメータであり、負でも構いません。答案で「総額は非負だから $x_0 \ge 0$ のはず」と直してしまうのは誤りです。
正規近似との違いも数字で見ておきます。この例の歪度は $\mu_3 / V(S)^{3/2} = 600/200^{1.5} = 0.212$ です。$\lambda$ を100倍の10,000にすると歪度は $1/\sqrt{100} = 1/10$ の0.0212まで落ちます。正規近似が効いてくるのはこの領域で、$\lambda$ が小さいうちは歪みが無視できません。
試験ではこう出る
- 移動ガンマ分布への近似は H20.(3) で出題されました。クレーム総額のモーメントからパラメータ $\alpha, \beta, x_0$ を推定させる、上の数値例と同じ型です。タクティクスの講師コメントでも「パラメータを推定する定番の問題」と位置づけられています
- 正規分布による近似は、平成12年度以降の26年度中3年度(2001・2010・2018年度)に出ています。総額がある値を超える確率を標準正規分布表で読ませる形式です
- 標準化に使う分散が $V(S) = \lambda E(X^2)$ であること自体が、複合ポアソンの公式(別の記事で扱った全分散の公式)の直接の応用です
タクティクス第2章では「クレームの分析」に移動ガンマ分布の問題が収録されています。この記事の内容は暗記事項ではなく、近似の計算問題でどのモーメントを合わせるのかを迷わないための前提です。
つまずきポイント:データが多ければ正規でよい、と思い込む
規模が大きければすべて正規近似で済む、というのは危険な思い込みです。歪度は $1/\sqrt{\lambda}$ の速さでしか消えないので、$\lambda$ が有限のうちは右裾が正規分布より厚く、リスク管理で一番知りたい「極端に大きな損害の確率」を過小評価しがちです。保険の損害額分布はもともと右に長い裾を持つため、この誤差は安全側でなく危険側に出やすいのです。
正誤問題対策としてもう1つ。移動ガンマ近似が一致させるモーメントは平均・分散・歪度の3つです。「平均と分散の2つを一致させる」という文が出たら誤りです。パラメータが $\alpha, \beta, x_0$ の3つあるのだから、条件も3つ要る、と考えれば取り違えません。
まとめ
- 複合ポアソン分布を標準化すると、$\lambda \to \infty$ で標準正規分布に収束する。標準化が0次・1次のモーメントを消し、$t^2$ の係数だけが $1/2$ で残るため。
- ただし歪度は $1/\sqrt{\lambda}$ の速さでしか消えない。有限の $\lambda$ では右裾を過小評価する恐れがある。
- 移動ガンマ近似は平均・分散・歪度の3つを一致させる。$\beta = 2V/\mu_3$ から順に解けば連立に迷わない。$x_0$ は負になってもよい。
※ 厳密に言えば(補注)
- 積率母関数による収束の議論は、クレーム額の積率母関数が $t = 0$ の近傍で存在すること(および $E(X^2) > 0$)を前提にしています。対数正規分布のように積率母関数を持たないクレーム額でも中心極限定理型の収束自体は成り立ちますが、その場合の証明は特性関数で行います。
- 正規近似の誤差の符号は、どのしきい値で評価するかや4次以上のキュムラントにも依存し、歪度が正だからといってあらゆる点で右裾を過小評価するとは限りません。本文の記述は、遠い右裾で過小評価に振れやすいという傾向の話です。
- 移動ガンマ近似は3つのモーメントを合わせた近似であり、分布そのものの置き換えではありません。$x_0 < 0$ のときは負の総額にもわずかな確率を与え、複合ポアソン分布が持つ $S = 0$ の点確率 $e^{-\lambda}$ も再現しません。裾の確率を読む用途で使うのが本来の場面です。