この記事で身につくこと
指定演習書の第1章は、確率を集合の言葉で定義し直す章です。試行・標本点・標本空間から始まり、コルモゴロフの公理を置き、そこから7つの公式を導きます。
分量は少ないのに、後の章のすべてがこの上に建ちます。ただし記法が古く、用語の使い方も現在の標準とずれている箇所があります。ずれを知らずに覚えると、他の教材や本試験の問題文と噛み合わなくなります。
この記事を読み終えると、第1章の記号を現代の書き方に読み替えられるようになり、加法定理がなぜあの形で書かれているのかを説明できるようになります。
記号と用語を日本語に直す
まず記号です。
| 教科書の記号 | 読み方 | 現在よく使われる書き方 |
|---|---|---|
| $\Omega$ | 標本空間 | 同じ |
| $\omega$ | 標本点 | 同じ |
| $E^c$ | 事象 $E$ の余事象 | $E^c$、$\bar{E}$、$E'$ |
| $\phi$ | 空事象 | $\emptyset$ |
| $P\{A\}$ | 事象 $A$ の確率 | $P(A)$ |
| $P\{A \mid B\}$ | $B$ のもとでの $A$ の条件つき確率 | $P(A \mid B)$ |
| 可付番個 | 添字を自然数で振れる個数 | 可算個 |
| 基本事象 | 標本点1つだけからなる事象 | 根元事象 |
確率を波括弧 $P\{A\}$ で書くのはこの本の流儀です。本試験の問題文は丸括弧 $P(A)$ を使います。読み替えるだけなので実害はありませんが、写経するときに混ぜないでください。
「可付番」は教科書の脚注に「現在では可算ということが多い」と断り書きがあります。1965年の初版に由来する語です。
用語のずれで、実害があるものが1つあります。
教科書は公式の一覧の先頭で、次のように書いています。
a. $P\{A^c\} = 1 - P\{A\}$ これを全確率の公式という。
ところが現在、全確率の公式(law of total probability)といえば、この本の同じ一覧の f にあたる式を指すのが普通です。
$$P(B) = P(A_1)P(B \mid A_1) + P(A_2)P(B \mid A_2) + \cdots$$
標本空間を排反な事象 $A_1, A_2, \dots$ に分割し、それぞれの場合の確率を足し上げる式です。教科書の側では、この f に名前が付いていません。
つまり、同じ「全確率の公式」という語が、この本と他の教材で別の式を指します。参考書を併読するとき、この本の索引をたどると余事象の式に飛び、他の本では分割の式に飛ぶ。ここは意識して切り分けてください。
以降この記事では、余事象の式は余事象の公式、分割して足し上げる式は全確率の公式と呼びます。
核になる式:なぜ加法定理は移項せずに書かれているのか
教科書の加法定理は、次の形で書かれています。
$$P\{A \cup B\} + P\{A \cap B\} = P\{A\} + P\{B\}$$
見慣れた形は $P(A \cup B) = P(A) + P(B) - P(A \cap B)$ のほうでしょう。同じ式ですが、教科書は移項していません。理由は導出の筋道にあります。
出発点は、公理IIIだけです。互いに排反な事象なら、確率は足せる。使えるのはこれだけなので、まず排反な部品に分解します。
$A$ を、$B$ に入るぶんと入らないぶんに切ります。
$$A = (A \cap B) \cup (A \cap B^c)$$
この2つは排反なので
$$P(A) = P(A \cap B) + P(A \cap B^c)$$
$B$ も同様に切ります。
$$P(B) = P(A \cap B) + P(A^c \cap B)$$
次に $A \cup B$ を切ります。3つの排反な部分に分かれます。
$$A \cup B = (A \cap B) \cup (A \cap B^c) \cup (A^c \cap B)$$
$$P(A \cup B) = P(A \cap B) + P(A \cap B^c) + P(A^c \cap B)$$
この3本を見比べます。$P(A) + P(B)$ を作ると、$P(A \cap B)$ が2回現れます。$P(A \cup B)$ には1回しか現れません。差はちょうど $P(A \cap B)$ 1つぶん。両辺に足し戻せば
$$P(A \cup B) + P(A \cap B) = P(A) + P(B)$$
左辺と右辺の対称性が見えます。和集合と積集合を足したものは、もとの2つを足したものに等しい。移項しない形は、この対称性を残すための書き方です。
この形で覚えておくと、3事象に拡張するときに符号を間違えません。包除原理は、足して引いて足して、と交互に符号が変わる式ですが、その原型がここにあります。
数値例
サイコロを1個投げます。$\Omega = \{1, 2, 3, 4, 5, 6\}$ で、どの目も同様に確からしいとします。
$A$ を「偶数の目」、$B$ を「3の倍数の目」とします。
| 事象 | 要素 | 個数 | 確率 |
|---|---|---|---|
| $A$ | 2, 4, 6 | 3 | $3/6$ |
| $B$ | 3, 6 | 2 | $2/6$ |
| $A \cup B$ | 2, 3, 4, 6 | 4 | $4/6$ |
| $A \cap B$ | 6 | 1 | $1/6$ |
加法定理を確かめます。
$$P(A \cup B) + P(A \cap B) = \frac{4}{6} + \frac{1}{6} = \frac{5}{6}$$
$$P(A) + P(B) = \frac{3}{6} + \frac{2}{6} = \frac{5}{6}$$
一致しました。
ついでに独立性も見ておきます。
$$P(A)P(B) = \frac{3}{6} \cdot \frac{2}{6} = \frac{1}{6} = P(A \cap B)$$
$A$ と $B$ は独立です。共通部分を持っているのに独立、という組み合わせがここにあります。
条件つき確率でも確かめられます。
$$P(A \mid B) = \frac{P(A \cap B)}{P(B)} = \frac{1/6}{2/6} = \frac{1}{2} = P(A)$$
3の倍数だと分かっても、偶数である確率は $1/2$ のまま変わらない。これが独立の意味です。
試験ではこう出る
第1章そのものが問題になることは多くありません。定義の章なので、後の章の中に道具として現れます。
条件つき確率から原因の確率を求める形は、繰り返し出ています。2000年度(H12)問題1(1)は、3つの工場がそれぞれ全体の20%、30%、50%を作り、各工場の不良率が与えられているとき、不良品が工場Aで作られた確率を求めるものです。全確率の公式で分母を作り、ベイズの定理で反転させます。
同じ骨格は2011年度(H23)問題1(1)にもあり、2つの箱から取り出した球の色から、どちらの箱が選ばれたかの確率を求めさせます。2021年度 問題1(1)も同型です。
和集合の確率を包除原理で求める形は、2001年度(H13)問題1(9)に出ています。1から5までのカードを引いて、引いた順番と数字が一致するものが少なくとも1枚ある確率を求めるものです。加法定理を $n$ 事象に拡張した形がそのまま使われます。
なお、ベイズの定理という語が問題文に出てくることは多くありません。平成12年度から令和7年度までの26年度分を集計すると、この語が本文に現れるのは5年度です。用語を使わずに設定だけで問う形が普通なので、名前ではなく式の形で覚えてください。
この章は暗記事項の章ではなく、後の章の問題を解くための前提です。ここに時間をかけるより、確率変数と分布の章に進んで、実際に計算しながら戻ってくるほうが定着します。
つまずきポイント:排反と独立を同じことだと思ってしまう
もっとも起きやすい取り違えです。名前が似ておらず、定義も違うのに、なぜか混ざります。
$$A, B \text{が排反} \ \Longrightarrow \ A, B \text{は独立} \quad \text{(これは誤り)}$$
定義を並べます。
$$\text{排反:} A \cap B = \phi, \ \text{したがって} \ P(A \cap B) = 0$$
$$\text{独立:} P(A \cap B) = P(A)P(B)$$
$P(A) > 0$ かつ $P(B) > 0$ のとき、排反なら $P(A \cap B) = 0$ ですが $P(A)P(B) > 0$ なので、両者は一致しません。つまり排反な2事象は独立ではありません。それどころか、最も強く関係し合っています。片方が起きたら、もう片方は絶対に起きないのですから。
さきほどのサイコロで確かめます。$A$ を「偶数」、$C$ を「奇数」とすると、$A \cap C = \phi$ で排反です。
$$P(A \cap C) = 0, \qquad P(A)P(C) = \frac{1}{2} \cdot \frac{1}{2} = \frac{1}{4}$$
一致しません。独立ではないことが確かめられました。
一方、さきほどの $A$(偶数)と $B$(3の倍数)は共通部分を持ちますが独立でした。共通部分の有無と独立性は、別のことを言っています。
見分け方は次のとおりです。排反は集合の話で、ベン図を描けば分かります。独立は確率の話で、ベン図では分かりません。数値を入れて $P(A \cap B)$ と $P(A)P(B)$ を比べるまで判定できません。
正誤問題でこの区別が問われたら、「排反ならば独立」は誤り、「独立ならば排反」も誤り、と答えます。どちらの向きにも成り立ちません。
まとめ
- 教科書は $P\{A\}$ と波括弧、「可付番」など古い記法を使う。試験の $P(A)$ に読み替える。
- 教科書が「全確率の公式」と呼ぶのは余事象の式。現在その名前は、排反な分割で足し上げる式を指す。
- 加法定理は排反な3つの部分に分けて公理IIIを使うだけで出る。移項しない形は対称性を残すため。
- 排反と独立は別物。排反な2事象(確率が正なら)は独立ではない。共通部分の有無では独立性は判定できない。