その名前をどこで見るか

チェビシェフの不等式として出てきます。平均 $\mu$、分散 $\sigma^2 > 0$ を持つ確率変数 $X$ と $k > 0$ について

$$P\left(\left|X - \mu\right| \geq k\sigma\right) \leq \frac{1}{k^2}$$

同じことを $\varepsilon$ で書く形もあります。

$$P\left(\left|X - \mu\right| \geq \varepsilon\right) \leq \frac{\sigma^2}{\varepsilon^2}$$

分布の形が式に入っていません。平均と分散だけで裾の確率を押さえます。

$k = 2$ を入れると、平均から2標準偏差以上離れる確率は $1/4$ 以下。$k = 3$ なら $1/9$ 以下です。平均と分散さえ存在すれば、どんな分布でもこれが成り立ちます。

教材とタクティクスを合わせて数えると、チェビシェフの出現数は38回でした。

どんな人だったか

パフヌティ・リヴォヴィチ・チェビシェフ(1821年生まれ、1894年没)はロシアの数学者です。

ペテルブルク大学で教え、ロシアの数学の一系譜を作りました。弟子にマルコフとリャプノフがいます。ロシア確率論はチェビシェフから始まる、という言い方をされることがあります。

業績は確率論に限りません。素数の分布についての研究、直交多項式(チェビシェフ多項式)、機械の設計に関する仕事もあります。実際に歩行機械や計算機を作った、実務にも近い数学者でした。

確率論での中心的な貢献は、大数の法則の一般化です。ベルヌーイが2項分布について示した定理を、平均と分散が存在する一般の分布に広げました。その道具として作られたのが、この不等式です。

なぜその概念が必要になったか

ベルヌーイの定理は、2項分布の項を直接評価して証明されました。分布が具体的に分かっているから項を評価できる、という構造です。

問題は、一般の分布ではこの手が使えないことです。分布の形が分からないのに「平均に近づく」と言うには、分布に依存しない評価が必要になります。

そこで発想を変えます。分散の定義から出発します。密度関数 $f$ を持つ連続型で書くと(離散型なら積分を和に読み替えるだけで、同じ議論がそのまま通ります)

$$\sigma^2 = E\left[(X-\mu)^2\right] = \int (x-\mu)^2 f(x)\,dx$$

この積分を、$\left|x-\mu\right| \geq \varepsilon$ の範囲だけに絞って下から押さえます。範囲を狭めれば積分は減るので

$$\sigma^2 \geq \int_{|x-\mu| \geq \varepsilon} (x-\mu)^2 f(x)\,dx$$

さらに、この範囲では $(x-\mu)^2 \geq \varepsilon^2$ です。被積分関数を定数に置き換えて

$$\sigma^2 \geq \varepsilon^2 \int_{|x-\mu| \geq \varepsilon} f(x)\,dx = \varepsilon^2\, P\left(\left|X-\mu\right| \geq \varepsilon\right)$$

両辺を $\varepsilon^2$ で割れば不等式が出ます。

$$P\left(\left|X-\mu\right| \geq \varepsilon\right) \leq \frac{\sigma^2}{\varepsilon^2}$$

使った操作は2つだけです。積分範囲を狭める。被積分関数を定数で下から押さえる。どちらも分布の形を問いません。だから一般の分布に使えます。

同時に、緩くなる理由もここにあります。$(x-\mu)^2$ を $\varepsilon^2$ に置き換えた時点で、範囲の外側にある大きな値の情報を捨てています。実際の分布がどんな形でも成り立つ評価は、どの分布に対しても最良ではありません。

大数の法則は、この不等式に標本平均を入れるだけで出ます。独立同分布な $X_1, \dots, X_n$ の標本平均 $\bar{X}$ の分散は $\sigma^2/n$ なので

$$P\left(\left|\bar{X}-\mu\right| \geq \varepsilon\right) \leq \frac{\sigma^2}{n\varepsilon^2} \to 0$$

ベルヌーイが20年かけた定理が、数行で一般の分布に対して示せることになりました。

試験ではこう出る

2001年度から2025年度までの25年度で、チェビシェフという語が現れるのは4年度です。

出方でもっとも学びが多いのは、中心極限定理と並べて同じ問いに答えさせる形です。

2021年度の問題1(5)がこれです。1から5の数字が書かれたカードを使い、Aは復元抽出で3回引いて合計を得点、Bは1回引いて3倍を得点とします。このゲームを繰り返し、2人の得点の標本平均の差の絶対値が0.5以下となる確率を95%以上にするための最小のゲーム回数を求めます。

そのうえで、チェビシェフの不等式を使った場合と、中心極限定理で正規近似した場合の2通りを答えさせます。

答えは次のようになります。差の分散は24なので、標本平均の差の分散は $24/n$ です。

チェビシェフの不等式では

$$P\left(\left|\bar{X}\right| \geq 0.5\right) \leq \frac{24/n}{0.5^2} = \frac{96}{n} \leq 0.05 \quad \Longrightarrow \quad n \geq 1920$$

中心極限定理では

$$\frac{0.5}{\sqrt{24/n}} \geq 1.96 \quad \Longrightarrow \quad n \geq 368.79$$

1,920回と369回。5倍以上の差が付きます。

これがこの出題の主題です。分布の形を使わない評価がどれだけ緩いか、同じ設定で並べて見せています。片方だけ知っていても答えられません。

導出の途中でマルコフの不等式が使われることもあります。非負の確率変数について $P(X \geq a) \leq E(X)/a$ という形で、$X$ を $(X-\mu)^2$、$a$ を $\varepsilon^2$ に置き換えるとチェビシェフの不等式になります。マルコフはチェビシェフの弟子なので、名前の順序と定理の依存関係が逆になっているのは少し奇妙です。

不等式そのものを証明させる出題もあります。分散の定義から始めて範囲を狭める、という筋道を書けるかを問う形です。導出が3行で済むので、覚えるより導けるようにしておくほうが確実です。

まとめ

  • チェビシェフ(1821年生・1894年没、ロシア)はマルコフとリャプノフの師。素数分布や機械の設計にも業績がある。
  • 不等式は $P(|X-\mu| \geq k\sigma) \leq 1/k^2$。分布の形を一切使わない。
  • 導出は分散の定義から、積分範囲を狭めて被積分関数を定数で押さえるだけ。3行で出る。
  • 分布を使わないぶん評価は緩い。標本平均に適用すれば大数の法則が一般の分布で示せる。
  • 過去問25年度で名前が出るのは4年度。中心極限定理と並べて答えの差を見せる出題がある(2021年度は1,920回と369回)。